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こちらのページは、東京地方裁判所でフジスター男女賃金差別を闘っている

細井れい子さんの裁判概要と支援のお願いです。

 

 

 

ご支援のお願い                      

 

私は東京日本橋にあるアパレル会社で20年間デザイナー、パタンナー、グレーダ―として働いてきました。その間、会社は男女で賃金をわけて、昇給、昇格、手当、賞与等で差別を続けてきました。

在職中から女性だけの組合を作り、会社と交渉してきましたが、会社は差別を認めないため、定年後2009年11月東京地方裁判所に提訴しました。

現在、東京地方裁判所にて一部昇格などの差別は認められたものの、賃金差別は認められなかったため、控訴審で闘っております。

女性がキチンと評価され、誇りをもって働ける社会を作る一石になればとの思いで頑張っています。どうか皆さまのご支援をお願いします。  

 

 

会社概要

フジスター株式会社 代表取締役社長 藤井本徳

会社設立 昭和28年(1953)9月21日

業種   繊維製品製造卸(アパレル企画)

社員   約40名 (2010年4月現在)

本社   〒103-0001

     東京都中央区日本橋小伝馬町4番地3号

     電話03-3663-7511(代表)FAX03-3666-0020

子供服・婦人服・紳士服及びインテリア商品の企画製造卸し。(現在は婦人服・インテリアのみ)主に量販店に販売。

 

原告の被告会社における職歴

平成元年フジスターに入社、20年間デザイナー、グレーダ―として勤務。平成21年60歳定年により退職。

 

平成1年(1989)5月26日入社 婦人服部配属

  デザイナー・パタンナー(ボトムス担当)3年4カ月

平成4年(1992)9月1日 開発部配転

  グレーダ―(紳士服・婦人服・子供服)8年5カ月

平成13年2月1日(2001)婦人服部配転

  デザイナー・パタンナー(数種類のハウスブランドを担当)6年10カ月

平成19年12月1日(2007)品質・開発部に配転

  グレーダー(婦人服担当)1年5カ月

平成21年(2009)5月9日退職

  

 

陳述書  東京地裁に提訴時(2010年2月26日)に原告の陳述書として提出したもの

 

原告の経歴

 私は、1949年5月9日生まれ専門学校卒業後、二つの会社を経て平成元年フジスターに入社、20年間デザイナー、グレーダ―として勤務しました。

平成19年に女性ばかりの労働組合を立ち上げ手当や昇格、昇給に男女差別があるとして会社側と団交をして来ました。平成21年60歳定年で再雇用を希望しましたが、拒否され退職しました。

 

会社における担当職務

入社してすぐに婦人服部に配属されボトム(スカート)担当としてデザイナー、パタンナーの仕事を任されました。企画、デザイン、パターン作製、サンプル作製、手作業によるグレーディング(基本形からのサイズ展開)生産指示、品質管理など多岐にわたる業務を一人で行いました。

1992年9月にパターンがわかるという事で婦人服からグレーディング室へ配置転換になり、婦人服、紳士服、子供服のCAD(コンピューター)によるパターン作製入力、グレーディング、データ管理等の仕事をしました。CADは初めてでしたが、一所懸命勉強しました。仕事は非常に忙しく連日残業をして頑張りました。

グレーディングを9年続けたあと2001年2月に婦人服に再配属になりました。デザインナー、パタンナーとして7つのブランドを担当。全ての製品の企画から生産、品質管理までを行いました。生地の柄(テキスタイル)やプリント柄(グラフィック)の考案等の分野も手掛けました。

2007年12月突然にグレーディング室に戻されました。定年の60歳になる2009年5月9日までグレーディングの仕事を担当。定年後も雇用延長を望みましたが、解雇されました。

 

会社における男女差別

 

定期昇給差別

私(企画職、入社時40歳)と同期入社の男性社員(営業職、入社時23歳)とは入社年度の給与額はほぼ同額でありましたが、その後の毎年の基本給と職務給において定期昇給額に差がありその格差は年度を追う毎に大きくなってきました。明らかに男女別に管理されていました。当然この差別は、基本給と職務給をもとに算出される夏冬の一時金、退職金、年金にも影響があります。しかし勤続20年の間にその根拠となる自分の考課を知らされたことも、面談もありませんでした。

 

昇格差別

男性社員は業務にかかわらず勤続10年になると主任に昇格しました。女性社員は組合を立ち上げて交渉するまで何年勤続しても主任に昇格した人はいませんでした。

 

各種手当

男性社員のみが勤続10年になると主任になり役職手当がつきました。また男性社員は27歳になると、世帯主であってもなくても、持家の有無に関係なく全員に住宅手当がつきました。結婚すると扶養家族の有無に関係なく男性社員のみに家族手当が支給されました。私達が組合を結成して粘り強く時間をかけて交渉して結論を出すまで女性社員には手当は一切つきませんでした。

 

決算賞与

1年毎の年度末に利益がでた場合、各部ごとに利益の一部を決算賞与として社員に支給配分する制度があります。年度により支給額は違っていましたが、私が所属していた婦人服では、営業(男性のみ)とデザイナー及び営業事務(女性のみ)との間では平均で約7倍~10倍の差額がありました。

 

差別の社風

朝礼で業務報告や挨拶をするのは男性だけでした。「女は評価もされないかわり、責任もないのだから良いだろう」と言われたことがありましたが、責任がないなどというのはまったくありません。同じように責任をもって働き、会社に貢献しても、同じように評価しないというのです。そのうえ会社では

女性社員が担当している本来の仕事がどんなに忙しくても、日常の社内掃除や展示会の受付、お茶くみ、灰皿洗い等は女性が処理するものとして扱われてきました。

 

雇用延長における男女差別

  私は2009年5月9日に60歳になり、会社の定める定年になりました。再雇用を希望しましたが拒否されました。私と同時期に定年になった男性社員は別の系列会社ではありますが、全員再雇用になっております。男性社員全員が再雇用になり女性社員である私一人が再雇用にならないのは、おかしなことで、男女差別としか言いようがありません。

 

組合活動と嫌がらせ

 2007年6月、私は同僚の女性社員7人で労働組合東京ユニオンに加盟し昇格差別、手当差別の改善を要求しました。長い期間をようしながらようやく手当の一部を差別と認めさせましたが、基本給や職能給の差別は残ったままです。団体交渉でも何の根拠も資料も示すことなく、不誠実な対応を繰り返したため、東京都労働委員会の斡旋もお願いしました。

 組合を結成してから、組合に対する誹謗中傷と支部長である私に対する嫌がらせが始まり、とくに会社の専務からの嫌がらせは、執拗であからさまで、精神的な苦痛を味わってきました。組合結成わずか半年後、婦人服部から、すでに廃部が決まっていたグレーディング室へ配置転換させられ、不利益をうけました。

 

まとめ

 デザイナーは売るべき商品を一から作ります。グレーディングは広範な専門知識が必要です。知識も技術も経験も流行を見極めるセンスも要求されます。会社においては生命線ともいえる重要な仕事です。私は責任感と誇りをもって取り組んできました。毎日6時になるとほとんど帰ってしまう営業の人達を横目にみながら残業して頑張りました。しかし、仕事の量の多さ、重要さに対しての評価はあまりにも低いものでした。

会社は能力でも努力でもなく、また勤続年数でも経験でもなく、性別で給料や昇格を決め、手当さえ性別によって支給するという差別をしてきました。また、女性蔑視の社風の中での屈辱感や挫折感を味わってきました。それでも会社の利益をだすことが社員の使命と考え頑張ってきたのです。

男性だから、女性だからというくくりではなく一人の労働者としての、その労働にたいして公平に評価して欲しいと心から願います。

長年の差別賃金によって年金の額においても差別を感じています。会社における男女差別が認められ、私の経済的、精神的損害が回復されて、はじめて20年間の労働が正当に報われると思っております。

 

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