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陳述書  野崎 光枝

 

はじめに私のことを申し述べさせていただきます。

昭和石油(株)に入社したのは、1951年、戦後の混乱期が過ぎ、空爆で焼け野原だった東京に建設の鎚音が聞こえてきたころでした。私たちは新しい憲法を最初に学んだ世代です。男女平等の世が始まっていると信じていました。私は希望を持って働き始めました。その職場は焼け残ったビルで、本来白かったらしい壁は黒く焦げており穴倉のようでした。そして働いていたのは50歳代らしかった課長を除いて全員戦争から復員してきた人たちでした。男女平等などと云える雰囲気ではありません。今振り返ってもそれは独特な職場だったと思いますが、私は一生懸命働きました。働くことはたのしいことでした。

 

1985年昭和石油はシエル石油と合併し、昭和シエル石油となりました。その合併時の新しい格付けを見たとき私の長年の怒りが爆発したのです。男性は上方に格付けられ、女性は勤続年数にかかわりなく下方に格付けられていたのです。黙っていることは罪だ、と思いました。この問題を社会化しなければならないと思いました。私はそのために生きてきたのだと思いました。

 

それには裁判しかありません。しかし私には何の知識もなくどうすれば裁判ができるのかわかりませんでした。ようやく東京都労政事務所までたどり着いた時は定年が目の前にせまっていました。その後東京都男女差別苦情処理委員会に問題を持ち込み、会社は調停に応じなかったので、提訴を決意しました。提訴は1994年3月です。一審東京地裁の判決は私の言い分がすべて認められました。職能資格制度における賃金の男女差別を始めて認めた判決でした。格付けと賃金に著しい男女格差があると認定し、それは職能資格等級の昇格管理を男女別に実施した結果であるとして労基法4条違反による不法行為と断じました。そして差別がなかったら原告のあるべき職能資格等級、あるべき定昇評価を認定し、月例賃金、賞与、退職金、既払分の年金、将来分の年金を含めて会社に支払を命じたものでした。

 

会社は控訴し、高裁では一審では触れなかった時効を持ち出し、その結果会社の言い分も認めた判決が申し渡されました。結果的に勝訴ではありましたが、釈然としない思いが残りました。高裁判決は女性職と言われる分野の低賃金を良しとした判決文だったからです。それはもともと女性の無償の行為とされていた福祉関係、保育、介護に従事する人たちの低賃金に繋がっているからです。

 

私も会社も上告し、最高裁判所は2009年1月22日上告棄却の判断をし、高裁判決が確定し、15年余の私の闘いはおわりました。

 

このたびの本間啓子さんの提訴について

本間さんとの初対面は提訴決意されたとき私が今もかかわっている均等待遇を求めるNGOの事務所に尋ねてこられた時です。一目で真面目に誠実に生きて来られた方だと解りました。また、私たち元裁判の原告と弁護士等は一年に2回ほどその後提訴された裁判の報告、闘い方などを話し合う会議を持っており、それはもう20年続いております。本間さんはそれにも弁護士帯同で出席され、ご自分のことの報告をされました。しっかりとしたわかりやすい報告であり、本間さんの優秀さが垣間見えるお話で、本間さんの怒り、悔しさが自分のことのように胸にせまりました。女性たちにとって差別の屈辱はすべて我が事なのです。理不尽なのです。見過せないことなのです。

 

当然だとお思いになりませんでしょうか。まして本間さんは富山大学理学部の出身です。今、この国でもてはやされている「リケジョ」です。東和工業株式会社も必要としたからこそ彼女を採用した筈です。女なら安く使えるとの理由での採用だったらそれは労働基準法、男女雇用機会均等法、女性差別撤廃条約をはじめとする世界共通の理念に反しています。設計職への転職要望にしても会社として何らかの期待を持ったからこそ本間さんの希望を受け入れたのではないのでしょうか。そして、衝撃的なコース別制度の導入です。「女性は一般職」「男性は総合職」とは性差別そのものの制度であり、到底受け入れられるものではありません。

 

この裁判は女としてこの国に生を受け、働いているすべての人の関心事であり、また、未来に繋がる裁判でもあります。 どうか公正な裁判をおねがいします。そしてなによりも良い判決をと心から願っております。 以上

陳 述 書   逆井 征子

 

私は、兼松男女差別賃金事件の原告6人のうちの一人です。

1963年、私は商社・兼松株式会社(当時、江商㈱)に入社し、定年までの40年間働いてきました。

 

兼松(株)では、1984年まで学歴に関係なく男女別年功序列賃金制度でしたが、1985年にコース別賃金制度が導入されました。しかし、仕事内容の分析も行わず、本人の希望も聞かずに男性は一般職、女性は事務職と一律に振り分けました。

 

私は22歳の時に、同じような仕事をしているのに、同期の男性と大きな賃金格差があることを知り、「なぜこんなに賃金に差があるのか。」と疑問とともに怒りで一杯になりました。それからは、労働組合の婦人部で活動し、賃金格差をなくす運動に取り組んできました。長く運動した努力の結果、ようやく22歳男女の初任給が同一となり、さあ、これからは23歳、24歳の賃金格差の解消を目指そうということで、一歩一歩頑張ってきました。兼松(株)は、1986年の均等法改正を控え、従来の男女別では法律違反になると考え、1985年に兼松(株)に働く女性の多くが反対したにもかかわらず、それまでの男女別年功序列賃金制度を職掌別に名称を変更しただけのコース別賃金制度を導入したのです。その後、22歳の男女同一初任給も崩されました。兼松(株)は、女性(事務職)の仕事は補助、男性(一般職)の仕事は基幹職であるとして、「男女差別ではない。」、「仕事の違いである。」と不合理な弁解を繰り返すのみでした。

 

「もう許せない。」と私たち兼松(株)に働く6人が東京地裁に訴えたのは1995年9月でした。それから14年、2009年10月に最高裁は、2008年1月の高裁判決を全面的に支持をし上告棄却となり、高裁判決が確定しました。高裁判決は原告6名のうち4名の原告に対して、コース別賃金制度は労基法4条違反であるとしました。この判決では、女性(事務職)の仕事は補助職、男性(一般職)の仕事は基幹職とする会社の主張が否定され、営業の履行業務をしている女性(事務職)について、男性(一般職)と同等の仕事をしていることを認めたのです。兼松(株)は「男性は取引先が多いから。」、「転勤があるから。」等と主張していましたが、「積むキャリアの違いが賃金格差を生み出す合理的な根拠とはならない。」と判断されました。

 

東和工業に対して提訴した本間啓子さんの訴えは、私たち兼松男女差別賃金事件の「コース別雇用管理は男女差別である。」とした裁判と全く同じです。本間啓子さんの陳述書によると、東和工業がコース別雇用制導入に際して発した社内通達では、総合職と一般職(従前の男子、女子を読みかえる)、「総合職=職種転換及び転勤ができる職種をいう(従前の男子)」、「一般職=基本的には転勤ができず、限定された職種をいう(従前の女子)」と定義されていました。この点だけでも東和工業の女性を差別する意図がはっきりしており、労働基準法4条違反であることは明らかです。また、本間さんは仕事も男性以上に頑張って、2級建築士の資格をとり、設計業務に携わってきました。2級建築士の試験は「設計及び工事監理に必要な知識及び技能を試される試験であり、会社での業務と関連性があります。受験時に学習した内容は、会社で仕事を行う上で随分役に立ちました。特に、製作物の強度の検証、材料の選定の際に、構造力学、構造計算(荷重計算)の知識が直接必要になります。また、各種計算書の作成にもおおいに役立ちました。」と述べているように、その資格を生かして設計の仕事を男性に負けないほど頑張ってきたのです。そんな時に、コース別雇用制度が導入され設計に携わっていた7名のうち、唯一の女性であった本間さんのみが一般職にされました。このとき、どれだけ本間さんが悔しい思いをしたか、どれだけ誇りを傷つけられたかは容易に想像が付きますし、自分が受けた差別がまた繰り返されたことに怒りが沸いてきます。本間さんが仕事に誇りを持ち、誠心誠意働いてきたことは陳述書で述べられています。

 

差別され続けて生きていくことはとてもつらいことです。男性以上に頑張って働いても月々の賃金だけでなく、年金にも影響します。生涯差別が続くのです。一人の人間として自立して生きる権利を奪う男女差別賃金は、人間の誇りと尊厳を傷つけます。 裁判所におかれましては、本間さんの真摯な訴えに公平で正しい判断を要請致します。 以上

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